戊辰 会津
2018.06.22
150年前の1868年、日本の元号は明治と改正され、現在の日本の姿が出来上がったと私は思う。
日本の子供達は「明治維新」を華やかな日本の歴史の幕開けとして教わり、太平洋戦争以降の日本が、現在の日本の原型だと印象を持つ事も少なくないように感じる。
私はある日、急にその人物の像が目に止まった。今までも何度も目にしていたはずなのに。
彼が何者か調べていくと、私が知っている歴史とは全く別のものが浮かび上がってきた。
しかし、事実は一つだ。
歴史は人の解釈の分だけある。それは我々未来を生きる人間にだけ許されたものだ。
会津藩の祖は江戸幕府3代将軍家光公の弟である、保坂正之公である。
以降会津藩は親藩として江戸幕府政治を支え、様々な任に就き、学問教育に精を出し、実直真面目な藩風は農民にまで浸透していたという。
そんな会津は幕末に大変な立場に立たされる事となる。
松平容保公の忠誠心が正しかったのか、西郷頼母公の愛国心が正しかったのか、私には分からない。
ただひとつ分かるのは、会津の民は勇ましく慈悲深く、義の武士だったという事だろうか。私はそう感じる。
現在の会津若松には、会津鶴ヶ城をはじめ様々な観光資源がある。修学旅行生も観光客も賑わう街だが、その歴史のほとんどは、ほんの150年前の出来事である。
下手すれば、曾祖父はその時の事を知っていたかもしれない。そういう時代だ。
私をこの地に導いた人物は、土方歳三という。
私の故郷から程近い、高幡不動尊に堂々と立っている。